給食の赤飯、震災日に廃棄!「もったいない」と怒りの声

ニュース

福島県いわき市で、3月11日の中学校給食で予定されていた「赤飯」が、震災犠牲者を悼む電話を受け、急遽提供中止・廃棄された問題が波紋を広げています。  教育委員会は「震災との絡みで不適切」と判断しましたが、電話内容は赤飯の廃棄を求めるものではありませんでした。  市長は「もったいない」とコメントし、SNS上でも配慮と祝意、食品廃棄への疑問など様々な意見が交錯しています。  今回の判断の適切性について、改めて検証が求められています。

引用元: https://news.yahoo.co.jp/articles/8470b82c0c9fe1411e7c03aec1348fd5d16f9140

みんなの意見

001 名前:NoName
この匿名の人は何がしたかったのか?
電話では廃棄は求めてなかったと言うが、当日の朝の話なんだから「配慮しろ」という自分の要求が通れば大きな影響が出ることぐらい、子供じゃないんだからわかりそうなものだろう。調理後に廃棄じゃなくとも各自生徒に家に持ち帰らせるのか(そもそもそれができるのか?)、調理前でも餅米や小豆が多かれ少なかれ廃棄にはなるだろうし。
こういう「お気持ちだけ言えれば気が済む」ような人の意見、しかも匿名の電話をまともに受ける必要なんてないでしょう。教育委員会に理念がなくて事なかれ主義すぎるだろう。
002 名前:NoName
クレーム電話一本で、2100食の食材をいとも簡単に廃棄判断する教育委員会の組織が異常。
2100食の財源は市民の税金+補助金(元をたどれば国民が納めた税金)。
今回の廃棄に至る経緯記録や決裁がなければ大問題です。
いわき市は、廃棄に至った経緯や廃棄を判断した教委の役職や氏名を明らかにすべき。

鎮魂や祈りも大切ですが…、
卒業生のこれまで努力を讃え、これからの人生に最大限のエールを送る場たる卒業式で赤飯を出してどこが悪い?

003 名前:NoName
震災時、自衛隊が救助のために現場入りした際、腹持ち良く栄養価の高い赤飯を持参したらしいが、それに対しても非難があったと聞いた。被災者に分けたとも聞いている。食べるものにも困る状況で、赤飯がむしろ命を繋ぐ大事な食料。今回の献立は、卒業する子供達におめでとうを兼ねての内容だったと思うが、確かに遺族の気持ちを思うと不謹慎と感じてしまったのかも、とも分からないでもないが、あの震災があった後に健やかに育ち命を育んでいる今の子供達の門出を祝う事も、尚大事だと思うのだが..。廃棄求めなかった、というが、それなりに不満を匂わせる電話入れたわけだしね、その後何が起こるかは想像すべきだったと思うが。
004 名前:NoName
単に赤飯という食べ物を無駄にしただけでなく、卒業生たちの卒業という門出を祝ってあげようと思いこの献立に決めた人の思い、お赤飯を作ってくれた人の思い、あの震災に立ち向かい子どもたちを育ててくれた親や親族、ご近所さんの思い、そしてなにより子供たちの思いを無駄にしました。
あってはならないことだと思います。
悲しい思いをした子供たちに対して改めてきちっとお祝いをしなおしてください。間違いは改める。大人がしなければならないことだと思います。
005 名前:NoName
卒業祝いは卒業祝いとして別に考えてもいいんじゃないかなぁ…。
その日がお誕生日の子どももいるだろうし。
不謹慎な言動がなければ日常を保つのも大事だと思う。
食べられるごはんを外聞のために捨てるのも不謹慎だと思う。
006 名前:NoName
お祝いと厄祓いはセットで考えるべきだと思っています。
卒業祝いとは、卒業した事を祝うと共にこれから先もつつがなく暮らせるようにとの願いも込めての事ではないかと。

赤飯にしても、赤は祝いの色とともに古来から厄祓いを意味もあったかと。
そこまで考えれば、卒業祝いに赤飯は、震災の日だったとしても配ることは間違った事ではないのでしょう。

007 名前:NoName
わたしも被災者の1人です。親を亡くしました。
もう、それはそれこれはこれって思考をシフトチェンジしませんか?
みんな悲しいし辛い思いもしました。
でも15年経ちました。亡くなられた方を無下にすると言うことじゃなく、もう前を見ましょう。
お祝い事してもいいじゃないですか。
一緒に、祝ってあげようという気持ち大事ですよ。
008 名前:NoName
別に10と11日を入れ替えれば良かっただけの話じゃないか。
卒業式当日の給食でもないんだし、いつやっても前祝いなのは変わらない。
それに急に3.11が来たわけでもない。
そんなの献立立てる前からわかってる話だろうが。
普段から何も考えてないからこんな事になるんだよ。
最後の11日の給食に子供達にとって一番人気のあるメニューを出して送り出してあげれば良かっただけの事だと思う。
009 名前:NoName
確かに3.11は東日本大震災があり大勢の方が被害に遭われ、亡くなられた方がいることも十分理解しています。
ただ過去にとらわれすぎも前に進めません。
卒業祝いとして献立に記載されているのだから、何故この日に赤飯が出ているのか理解できますよ。しかもこの卒業生の中には震災直後に生まれた子がいるので、考え方によっては意味が深く感じます。また赤飯自体、お祝いだけでなく、災いを逃れる為の厄除けの意味もあるんですよ。

一番は食べ物を廃棄にする事が一番災害を経験した身としてあってはならない事ですよね。

010 名前:NoName
そもそも、『3月11日になぜ赤飯を出すのか』と電話してきたのだから、その通話者は
震災の日に赤飯なんて!!と感じて電話してきている。
温和に話していても、卒業式だからと説明しても、違和感は拭いきれていないと思う。
赤飯が廃棄されたら、『そんな意図は無かった』と言っているが、そのまま提供されていれば、たぶん震災の日に赤飯なんて!!と
どこかで声を上げていると思う。
自分の気持ちだけを主張して、自分には気を遣って欲しいという人が一定数居るのは仕方ないが、もっと状況や周りにも気を遣える人が増えて欲しいし、簡単に折れたりせずに毅然とした態度を示せるようにもなって欲しい。
011 名前:NoName
電話かけた人は赤飯が祝い事しか駄目だと思ってたのかな?厄除けの意味もあるから法事の時に食べるとこもあるから今回の子供達こそ食べないといけないものなんだけど。電話かけた人は、子供達の祝い事つぶして楽しいのかな、これが震災後3年目位までなら辛い気持ちから電話かける気持ちは分かるけど十年すぎたら一区切りつけないとしんどいと思います。
012 名前:NoName
震災で被害に遭われたり家族を失った方が多いのも理解出来ますが、15年が経ちそれでも配慮を求める声が上がるのに驚いています。震災があり多くの方が辛い思いをした事と子供達の卒業とは切り離して考えてあげられなかったのでしょうか?わざわざ電話を掛けて意見を言ったら被災地なのだから取りやめになるかもしれないとまでは考えていなかったのでしょうね。いつまでも震災を覚えていることも大事ですが3月11日が来るたびに何かを祝うことすらも配慮しなくてはいけなくなる風潮だけは避けてもらいたいと思う。
013 名前:NoName
震災のあった年に生まれた子も在籍する学年ですよね。
過去を忘れてはいけないけれど、今こうして中学卒業を迎えられたのは、震災の中でも守り抜いてくれた家族や大人がいたからこそだと思います。
大切な人、身近な人を亡くした生徒さんもいると思います。
でも、「今」を生きている人たちには、今の生活がありますし、未来もあります。
この日の給食のために、餅米やささげを育ててくれた農家さんも、調理師さん、栄養士さんも、みんな今を生きているんですよね。
地元の農家さんは、特に生活や仕事を立て直すのも、本当に大変でしたよね。
大切に繋がれた命だからこそ…私は「中学校卒業おめでとう」と祝ってあげたいですね。
014 名前:NoName
震災時、食べ物に困窮したのに、廃棄するとは、行為そのものが被災された方々に対して、また給食費補助等の税金を無駄にしたことも含め、失礼だと思う。たまたま卒業祝いの給食が3/11になったんだが、あれから15年、こんなに立派に成長できました、ありがとうの感謝でいただき、被災・犠牲になられた方々、復興に尽力された方々に感謝と哀悼の意を示す方がより教育的だ。廃棄され、カンパンを食べる卒業生は、大人都合に振り回されて益々大人不信、学校不信になりやしないか。教育長が1人の意見にビクビクして教育的でない判断をするのはどうなんだろう。
015 名前:NoName
驚くべきことに、この教育長の服部樹理氏は前文科省健康教育・食育課課長補佐だったらしい。
食育に携わっていた人物がこのような軽率な判断をするというのだから嘆かわしい話だと思う。
任期を1年残して交代が決まっていた人物らしいので、最後の最後に名前を(悪い方に)残したということになる。
後任には地元の方が就くそうなので、震災で得た「食べ物を大切にする」という教訓を活かした教育を行って頂きたい。
016 名前:NoName
今回の判断については、正直に言って「本当に無駄なことをした」と感じざるを得ない。発端となった電話は、赤飯の提供の経緯を尋ねる内容であり、提供の中止や廃棄を求めるものではなかった。それにもかかわらず、教育委員会が2100食もの赤飯を廃棄した判断は、合理的とは言い難い。被災者への配慮は重要だが、配慮とは相手の意図を正確に理解したうえで行うべきものである。結果として子どもたちの卒業祝いの機会を奪い、大量の食材を廃棄する事態を招いた今回の対応は、過剰反応だったと言わざるを得ない。行政には感情ではなく、事実確認に基づく冷静な判断が求められる。
017 名前:NoName
問い合わせをしてきた人物が猛抗議をしていないというのなら、
結局、誰が給食としての提供の中止と廃棄を提言して、誰がそれを承認したんだろう?

福島県の県民性なのか、公務員的な思考停止と事なかれ主義の結果なのか

ある意味、日本人の3.11へのこれからの向き合い方を問われる事態
しっかりと検証して報告してほしい

018 名前:NoName
ご家族が亡くなられたことは大変痛ましいことです。
ですが、自分のかけた一本の電話が大きな波紋を呼びそうなことは想像できなかったんですかね…
この卒業する中学生たちもお身内を震災で亡くされた子もいたでしょう。
それでも明日を見つめて強く歩んでいく旅立ちの日なのです。
019 名前:NoName
廃棄は求めてなかったなど後から言ったところでどうしようもない。
自分の一言で大きく変わることを認識してもらいたい。
今でこそ米不足が解消しているにしても、米も無駄になり、買い付けのための税金も無駄になっている。
確かにその日に赤飯はイメージ的には良くなくとも、若者の卒業はお祝いではある。
献立の日にちを1日ずらすことはできなかったのかも気になる。
020 名前:NoName
少なくとも私が生まれ育った岩手県盛岡市周辺では赤飯は春秋のお彼岸やお盆お葬式などにもお供えして皆で食べます。どういういわれがあるのか分かりませんがお祝い事だけと限っていません。と、いうか我が家ではお祝いで赤飯を炊くことの方が殆どありません、仏壇や墓前に供えるために炊くって感じです。
021 名前:NoName
震災があり、食べ物に困った経験をされたのに、食べ物を廃棄…というのがとても気にかかっています。色々な考えや思いがあるのはわかりますが、今のこの未来の見えない世界情勢の中、べつに卒業おめでとうのお赤飯くらいいいじゃないか。あの震災を乗り越えてうまれた、未来ある子供のお祝いを祝うこともできなくて、復興とは…。
022 名前:NoName
震災から15年…ご遺族にとっては何年経とうと特別な日だと思います
きっと電話を入れた方は、ご遺族に対して配慮する気持ちを伝えたかったのではないかと推察します

が、「卒業を祝うための赤飯」に過剰反応し過ぎではないかとも思います
特に今年、中学卒業を迎える子たちは震災時に生まれた子もいるでしょうし、皆んな少なからず震災の混乱の中で生まれた子たちのはず

その子たちが無事に成長し、これからそれぞれの道に進んでいくことを皆んなで祝ってあげることも、震災を乗り越えていく上で大事なことのように思います

悲しい気持ちを抱えながらも、日々の生活の中での喜びや幸せを積み重ねて少しずつ前に進んでいく…震災を忘れてはいけないけど、縛られ過ぎるのもどうなのでしょうか?

食材廃棄を決めた教委は、震災を経験したからこそ食べ物の有り難みを伝えていかなければならないはず…とても残念な判断だとしか思えません

023 名前:NoName
ご意見と配慮でこうなってしまう
行政は最大多数の最大幸福でやるべきで一人でも取り残さないとかいうのは耳障りはよくても大多数を犠牲にすることになる
一人でも不快に思ったら配慮でやめるみたいなのは行政のあり方として間違っていると思う
024 名前:NoName
架電した人物に憤りを感じます。食料だけでなく学校側の祝う行為にも配慮がない。「廃棄までは求めてない」って後から言うけど、遠回しに食べるなって言ってるし、その赤飯を他にも回すのも非現実的。その人物の、神経質で他人に厳しく想像力が弱い性格を感じてしまいます。日が日だけに、たった一本の電話とは言え学校側がプレッシャー感じるのも無理なかったと思います。
025 名前:NoName
電話をわざわざかける事なのか。震災で精神的にダメージを受けている事もあると思います。でも無事に助かって無事に卒業を迎える子どもたちを祝ってあげたいと思うのは当たり前のことで、捨てるとは遺憾です。自分も震災時に学校も保護者も一生懸命対応する中で他の学校の先生方は何も被害が無いからと普通に役員活動の強要を求めてきました。流石に被災した学校の先生方と保護者で異議を唱えました。やらないとは言ってないが今やる事でしょうか。多分そういう事を考えてから行って欲しいという意見を伝えただけでしょう。
026 名前:NoName
皆さんがおっしゃる通り、震災の日と卒業祝いの日がたまたま重なってしまっただけ。赤飯だから不謹慎だと言うこともない、卒業祝いなのに非常用の乾パンだなんて可哀想過ぎます。
電話をかけた人についても心情は分からなくもないので意見は意見として、必要以上に叩かれなくてもいいと思う。担当者から教育長に伝わる間に話しが段々大きくなってしまったのでは?
来年気を付けるにしても、赤飯で良いと思う。
027 名前:NoName
今の中学3年生って2011年3月11日生まれの生徒さんもいたりするのか…卒業祝いの膳として、担任や校内放送を通じて校長が改めて当日の学校の様子や温かい給食をいただけること等の言葉を伝えてから食べる、というような形にしてもよかったのでは?
給食を無駄にしたのは、生産者、栄養士、調理員ほか関係する人たちの苦労も無にしたのかと。
028 名前:NoName
些細なことでもSNS等を通じ全国規模の話題となり、いわゆる炎上する現在の社会が、今回の件を引き起こした背景にあるように個人的には思います。
企業も団体も役所も、炎上が起きないよう先回りした対応や、過剰な対応を選択してしまう。またはせざるを得ない。
なんだかおかしな社会になってきているなと最近よく感じます。
029 名前:NoName
確かに、震災で大切な方を亡くしたのならその日は嫌でも辛い気持ちを思い出してしまう1日かもしれません。
しかし、その日がお誕生日の方、結婚記念日の方、これからこの日がお誕生日となる赤ちゃんもたくさんいるでしょう。
辛い気持ちはご自身の中に留めて、ご自身が亡くなった方を偲ぶ1日とし、この日が誰かのおめでたい日であれば、それを祝うことは悪いことではないと思います。
あの日を風化させないためにも、辛い気持ちを持つ方、またこの日が祝いの日である方それぞれが相手の気持ちや状況に寄り添い、理解し合う努力が必要なのではないでしょうか。
今回のお赤飯も、お祝いのためにと一生懸命に準備したものだろうと思います。もち米だって、生産者の方が苦労して作っているのです。
美味しくいただいて、皆で笑顔になっても良かったのではないかと思ってしまいます。
030 名前:NoName
「震災」に関するイベントであれば、確かに3月11日に赤飯は好ましくないと思いますが、震災に関係がない祝い事であるならば問題は無いと思います。

でなければ今後も3月11日に公的に祝い事は出来ないことになってしまいます。

震災は痛ましい出来事であり簡単に忘れられるものではありませんが、未来に向けて切り替えていくことも大切ではないでしょうか。

031 名前:NoName
多分、ここだけではなく、多くの自治体で、クレームを必要以上に怖がっていて、過剰反応している場合がちょこちょこあるのではないか。1名のクレームで、ろくに調査や他の人の意見も聞かずに判断、決定しているとか。今回も、来年以降配慮してほしいと言う意見をクレームだと過剰反応してそこまでしなくても良い決断をしてしまった。何か、自治体向けに、クレームについての講習会とかがあっても良いかも。
032 名前:NoName
一年365日、毎日良いこともあれば悪いこともある。誰かにとって、とても不幸な日でも、他の人にとってはとても幸せな日もある。
3月11日は東日本大震災で、とてもたくさんの人が亡くなった、とても大きな出来事だてけども、出産や合格だの、幸せな出来事があった人もいる。東日本大震災で亡くなった方へ鎮魂の気持ちは保ちつつ、おめでとうということがあってもいいと思う。
元旦に亡くなった家族がいたとして、ずっと一生、あけましておめでとうと言わないわけでは無いですよね。
033 名前:NoName
匿名の電話一本にどうしてこの様な対応になってしまったのだろう。一応名前とか確認したのだろうか。匿名が悪い訳ではないが氏名を名乗らない電話にはひとつの意見として聞き入れるくらいの対応でいいと思います。
電話主も経緯を聞きたいという事であれば説明して理解を得ればいいだけでなないでしょうか。
面倒だから廃棄しちゃえみたいな印象もってしまいます。
来年は気をつけてもなにも問題ないと思います。
未だに震災から立ち直れてない人達もたくさんいると思いますが自治体には子供達の未来を見た対応をしてもらいたいです。
多くの生徒達がこんな日に赤飯なのかよというのでなければ普通の献立でしょう。
結局、卒業祝いの給食が乾パンだなんて誰も望んでないと思います。
034 名前:NoName
震災で多くの方の命が失われたことは悲しいことです。
でも、そのことで今を生きる人達のお祝いすらお悔やみを混ぜて語ってしまうことは非常に悲しいことですね。
亡くなられた方のなかには、子ども達の卒業や入学など、成長を一緒にお祝いしたかった方も、たくさんおられたのではないでしょうか。
やめるのではなく「生への感謝」を考える機会にすれば良いと思います。
それにしても、数千人のお祝いを楽しみにしていた子達の気持ち配慮しないないで一本の電話を最優先にするなんて。
なんか令和らしいやり方ですよね。
035 名前:NoName
気持ちは分かる。だけど一個人の感情を学校にぶつけてくる意味は分からん。

3/11に限らず、どの日だってどこかしらで不幸が起きてると言うのに、そんなのいちいち汲んでたら祝い事なんてもう出来んでしょ。

結論として匿名の一個人が寄越した電話でせっかく用意した赤飯がただただ廃棄されてしまい、それに掛かった費用まるまる無駄になったということ。

物価高のこのご時世、食べ物だって価格と睨めっこしながら買ってるってのに何てことしてくれてんだ?ってのが素直な意見。

電話した奴も今どんな気持ちでいるんだか。

036 名前:NoName
毎日誰かしらの悲しい日であり、誰かしらの嬉しい日でもあるわけで。あの大きな災害でしたから多くの人の心にこの日は刻まれていますが、だからといって門出を祝ってはならないということではないと思うのです。お赤飯をいただきながら様々な背景の上で卒業できる喜びも感じてもらえるのでは?被災し命を落とした子どもたちの分まで精いっぱい生きて繋いでいくことも大事です。最近では何でもかんでも少数意見に振り回されているところが多い。確固たる信念の上で理解を求めたらいいのに。廃棄されたお赤飯は本来いただくべきものだった。子どもたちに別の傷を作ってどうするの…
037 名前:NoName
同じ年の子どもを持つ親です。 
この子達が生まれたのがまさしく東日本大震災の年度なので産まれたての乳児期だった子、避難所で産まれた子、臨月のお母さんのお腹にいた子も今回の卒業生です。  
ご家族や大切な方を亡くされた方のこの日に対するお気持ちは何年経っても癒えるものではないかもしれませんが、未曾有の混乱の中立派に成長してきた子ども達なので当たり前にお祝いしてあげたかったですね。
038 名前:NoName
廃棄は求めてなかったとはいえ、当日に抗議電話する必要は無いはず。
後日の電話で良いはず、しかるに当日電話するということがどのようなことを招く恐れがあるのか思いを馳せる気持ちも無いということなのか?この電話の多大なる影響により、2000食以上の赤飯がゴミと化した。これは厳然たる事実である。
039 名前:NoName
たまたまカレンダーがそういうタイミングで卒業式で、その前日にお祝い給食で、その日が3.11だった「だけ」

だけと言ってしまうが、震災のこと忘れるわけではないし、そのことをこどもたちはしっかり学習してると思います。
その子の卒業はその1回だけです。お祝いして欲しかったな。たとえ、今後3.11と重なってもです。
震災のことは毎年、毎日考えて備えていけばいいんです

040 名前:NoName
『食材』にはなんも悪いとこないのに廃棄はやりすぎではないだろうか?
そもそも廃棄指示に対して誰も異議を唱えなかったのか?または唱えれる相手では無かった可能性もある(鶴の一声的な)。ネットで大人数での会議や相談もすぐに可能な時代なんだし、組織体制の見直しも検討していってほしい。
041 名前:NoName
私にお金があったら、このお赤飯を食べられなかった子どもたちに振る舞ってあげたい。そして卒業おめでとうと心から祝福してあげたい。

電話をかけた方は震災で大事な人を亡くしたのかもしれないけど、自分の中の悲しみは、結局のところ自分がどうにかするしかない。もしかしたらずっと抱えていくのかもしれない。それはとても辛いことだと思う。だけど、卒業祝いの赤飯を道連れになくしたとて、その大元の悲しみが一瞬薄まるだけで、自分の中の悲しみが本当の意味で癒されることはないと思う。

たかが給食だけど、この子たちはたぶんこの日のことエピソードを忘れることはなくなってしまった。だけど、あなたたちが元気に小学校を卒業して中学校に入学することこそが、今を生きている地元の人たちの希望だということも、どうか覚えておいてほしいと、勝手ながら思いました。

042 名前:NoName
我が家も3/11が中学校の卒業式でした。
今年中学校卒業の子たちが産まれた学年が東日本大震災の年です。こちらは神奈川ですのでいわき市とは被害は比べものにはならないのですが…。震災のとき、首がすわりきってない子を抱えて避難し、夜遅くまで停電。夫はちょうど仕事で茨城に行っていたので明け方まで帰宅できず、本当に不安でした。
同級生には3/11に産まれたお友達もいます。あの時の子達がここまで生きて成長できたのだと、感慨深い卒業式の日でした。
匿名の方の辛い思いは計り知れないですが、その子達のお祝いにお赤飯出したって不謹慎だとは私は思いません。
043 名前:NoName
中学生だともしかして人生最後の給食だったかもですよね。うちの小学校の献立もお祝いメニューは卒業式の前日なので。

廃棄を求めていなくても、このような抗議の電話は廃棄しろと言っているようなもの。
家族を亡くしたのは辛いが、その頃に赤ちゃんだった子たちが奇跡的に震災で助かり中学を卒業するのだから祝ってあげてほしかったな。

044 名前:NoName
給食の場合、校長の検食や提供時に異物や違和感があった場合はそれが何か、本当におかしいかどうかは二の次で、原則安全のために提供を停止するのが流れなので、当日では差し替えもできないので、同じように問題が起きた以上は提供しない、と言う判断になったのかもしれません。とはいえ、実際の赤飯には安全上何の問題もないわけですし、お赤飯を提供したうえで、震災の日に赤飯は食べられない、と言う生徒がいたら申し出るように言って、非常用の缶詰パンでよければ変えられる、という個別対応でよかったのではと思います。
045 名前:NoName
この問題は、個人個人の想いを考えていたら何も出来ずに普通の日々となってしまいます。 子供達の門出を祝いたいと想う学校側が、卒業祝いとして提供するのだから全く問題では無いが、色々な形で被災した方々にしてみれば、その当日にお祝い行為は辞めて欲しいと謂うのも解ります…
しかしながら、子供達はこれからの日本を背負ってたつ人に成るわけですから、人生で一度しか訪れない節目は祝ってあげて当然です。
祝ってイケナイとするなら、震災当日に産まれた子供は生涯に渡り誕生日を祝ってもらえない訳です…

にしても、イジメの通報や申し出をも拒否し揉み消すのに、何でこの時は数時間も掛からない内に2100食もの赤飯を破棄するなんて決断が教育委員会に出来たのだろう…?
保護者関係者なら、給食の献立は前々から解っていたハズです。クレームを入れたのは、保護者関係者以外の地域の相応の市長政治家クラスの権力者だと想像できる。

046 名前:NoName
別に震災をお祝いして赤飯を出してる訳じゃない事くらいほんの少し考えれば分かるだろう。
あくまでも卒業を祝って出すのであって3.11とは分けて考えて欲しい。
じゃないと昔悲しい出来事があった日、という度にその日は何事も祝えなくなってしまう。
震災を忘れて喜べ、とは言わないしその当時を思い出しながらもこの日を迎えられたと感謝して食べても良いでしょう。
少なくとも被災して大事な人達を亡くしてしまったワタシだが学生達には自分達の卒業を心から喜んで欲しいし ご家庭でも祝ってあげて欲しいと思う。
047 名前:NoName
もし自分の家族が被災して亡くなっていたならと想像すると、もしかしたら複雑な気持ちになるかもしれません。
でも、だからといって子供達の卒業祝いの給食献立に対して、わざわざ苦情の電話をいれるのは違うと思います。
苦情の電話をいれればどうなるか想像がつかなかったのでしょうが、温和に終わろうが「廃棄しろ」と明言していなかったとしても、「わざわざ苦情の電話をいれた」=「配慮を求めた」のですから、学校や教育委員会は対応を迫られます。
来年からは気を付けてというのも、疑問に感じます。
あの大変な震災の日から、地域の皆さんが守り抜いた子供達が無事に卒業できることを
お祝いしてあげてほしいと思います。
048 名前:NoName
電話をしてきた方の意図がちょっとよく分からない。
経緯の説明というが、説明のみでしっかり納得できたのだろうか。
そもそも卒業お祝い献立と明記してあるし、それを口頭で説明したところで「ああ、卒業祝いなら今年はまあいいか」となるもの?
来年は気をつけてほしいってどう気をつければ納得するのだろう。
卒業のお祝いを配慮すれば良いのかな。
震災は確かに悲しい出来事だが、卒業式のお祝いとは別でしょう。
震災が悲惨だったので卒業式のお祝いは控えましょう!となるのはあまりにおかしな話。
悲しい気持ちは分かりますが、同じ日に卒業の方も誕生日の方もいらっしゃるんですよ。
049 名前:NoName
犠牲になった人たちのことを思うのは大事だと思うけど
実際に犠牲になった人たちが数年後の若者の門出を祝わないとは思えない
被害に遭った人たちが食品を廃棄してまで後世を祝うなとは言わないと思う
祝われるのは震災後に生まれた中学生なのに震災を忘れないのは大事だと思うけど未来を創っていく若者はどんなときも祝っていいと思う
050 名前:NoName
3月11日生まれの子どもを持つ親です。
震災のことと、卒業祝い、それぞれの出来事に対して、真摯な対応をお願いしたいです。亡くなられた方への配慮と同様に、震災後の今を生きる子ども達の気持ちへの配慮もしてほしいです。娘が2歳の時に震災が起きました。娘の記憶には、誕生日は黙祷と反旗が掲げられる日という記憶しかなく、私におめでとうと言ったらダメって幼稚園のみんなから言われて泣いたよねと毎年話します。今も子どもは誕生日を隠します。弟からお姉ちゃんにおめでとう言っていいの?と聞かれ、誕生日は生まれてきたこと、新しい歳を重ねられたことに感謝する日だから言っていいよ。でも、大勢の人が亡くなられて悲しい日の人もいるから、家の中だけにしようねと言いました。娘は弟からその話を聞いて、誕生祝いなんてしなくていいとケーキも食べずに泣いて、泣きつかれて寝たのを見て複雑な気持ちになったことを思い出しました。
タイトルとURLをコピーしました