福島県いわき市で、震災の日に赤飯の給食が不謹慎だという1本のクレームにより、調理済みの約2100食が廃棄される事態が発生しました。市長は「もったいない」とコメントしていますが、食品ロス削減推進法が施行されているにも関わらず、現場ではクレーム対応が優先され、食品ロスが発生しやすい構造的な課題が浮き彫りになりました。日本の食品ロス量は年間532万トンと多く、気候変動にも影響を与えるため、早急な対策が求められています。
引用元: https://news.yahoo.co.jp/articles/9bb3ff4473cd6b1034fa46ec53b290e84265485f
みんなの意見
震災のあった日に御赤飯で祝うのはおかしいだなんていう、そんなクレームを言うのはモンスタークレーマーだと思う
衛生観点から破棄は致し方なかったのかもしれないと思うが、そもそも論として、こんなクレームに屈しないで欲しかったなと感じる
何も震災を風化させるべきとは思わないし、むしろ忘れてはならない出来事ではあるが、
そんなことを言っていたら、今年西暦2026年、紀元前も含めたら長い長い年月の中で、その日その日で様々な不幸な出来事がこれまで起こってきたであろうから、365日、如何なるお祝いごとも行えなくなってしまうだろう
私は卒業を御赤飯で祝って貰えなかった子どもたちを不憫に思う
法事でも赤飯は出ます。食べ物を粗末にする廃棄はするべきではない。今の豊かな時代だからクレームも言えたりするのでしょう。故人は赤飯の廃棄を良しとしてたでしょうか? 昭和の中期までは、ホント貧しい時もあり、固いご飯でもなんでも、食べられるなら、しょうゆかけたり、マヨネーズご飯でも食べられることは幸せだった。だから、ほかに施設に配布なり方法はあったはず。いずれ、現代は食べ物の大切さを軽んじているとしか思えない。世界でどれほどの人が飢えているか・。生産者はどれほどの苦労で作っているか・。賞味期限、消費期限の廃棄も余りに多すぎると感じる。
食品ロスや、もったいない気持ちも大事だが、何より卒業と言う祝の門出。そのひとつの思い出を赤飯ではなく震災を思い出すような備蓄の缶詰パン。
これは卒業生にとっては良い思い出になるのでしょうか?
被災者の気持ちも分からないわけではない、僕も能登沖地震で被災した被害の大きい新潟市の一部である被災者のひとり。
地震は地震、卒業は卒業、いつまでも被災に浸っているのではなく、きり分けて祝い事は祝えばいいのではないかな。
一件の匿名の保護者と名乗る者のクレーム。ほかに同様のクレームがあったとは報告されていない。そこで様々な部署間での情報共有と協議があったともアナウンスされていない教育長の火消的な対応が上へ下への騒動に発展した。震災 コロナを乗り越えた卒業生へ労いと今後の門出を祈るべき食材を廃棄に回し保存用のパンを提供。大人の勝手なエゴで被害を被ったのは卒業生といわき市の納税者 これを機にこういった際の対策ルートを構築してもらいたい。もちろん関わった職員の厳正な処分も必要だろう。卒業生はしっかりと先を見て進んでほしい。
いわき市教育委員会は今後SDGsを推進するたびに今回の件が思い出されることだろう。今回の大きな過ちを受け止めて、今後の教育に悪い事例として振り返ることが第一だ。
教育委員会はマイナスからの第一歩を踏み出すために現場に教えを請うことが大切だ。くれぐれもアンケートという姑息な手段を取ることなく、実際子どもたちと深く接する教職員の声に直接耳を傾けてほしい。
中3は震災の日に生まれた子もいる学年で、卒業まであと数日の中学でみんなで食べる給食だった
給食の献立は前月末には配られてて、本当に保護者だったら月初に連絡したら、少なくても内容変更で廃棄にはなってない
きっとその日の朝たまたま献立確認して、衝動的に連絡したんだろうよ
その衝動の代償をかみしめてほしい
これから先もいつまで震災の事を引きずっていかなきゃならないのかなと考えてしまいます。
確かに忘れてはならない大変悲しい出来事ですが、今生きてる若者達の大切な門出を犠牲にしてまで自粛し続けないといけないのでしょうか?それよりも、あの悲しい出来事があったからこそ今を大事に生きるように教え、新たにステージに旅立つ事を祝ってあげる方が良いのでは無いかと思ってしまいます。
ただこれは、震災で身内を亡くした当事者では無いから言える事なのか、難しい問題です。
今回子供達にとって卒業という人生にとって一つの区切り。
3.11は忘れる事は出来ないし、忘れてはならない事だけど、震災は震災、祝い事は祝い事に分けないと、結婚や子供が産まれたらお祝いが出来ない。
3.11に産まれた子供はこれから誕生日を祝ってもらえない事になる。
クレームの電話をかけた人も廃棄をして非常食提供になるなど、ここまで大事になるとは思っていなかったのでしょう。そんな簡単に食事を買えたり代わりを用意することはできないことを承知のうえで、電話をかけたと思いたいですが。
食事を廃棄することで、それを食べられたら救われる人や子どもたちも多くいたでしょう。それは亡くなられた方等の意思だったのでしょうか。個人の意向が尊重され、他者の思いが尊重されない、そんな世の中になっているような気がします。
食事は提供し、食べる食べないは個人の判断にするという対応もあったかと思います。赤飯が提供されることも献立表などで事前にわかっていたでしょうし。
米が高止まりで消費者が買えないなかでの、大量廃棄は制度があっても、生産者の気持ちを考えると、大変残念であり、子供を教育する学校で食育を教えるにあたり、大人の事なかれ主義と言う安易な判断で廃棄するのは如何なものでしょうか?
赤飯を食べながら、この赤飯を食べられなかった震災犠牲者を想う事も、1つの教育ではないかと思います。
多くの人は大震災を乗り越えて、新たに社会に出て、これから東北の震災復興に携わってくれる子どもたちの門出を祝ってあげたいって気持ちの方が強いと思うし、不幸にも亡くなってしまった方々もその方が喜ばれるのではないかと思う。
多様性とかマイノリティの尊重とか耳障りのいい言葉で本質を見失わないで欲しい。
震災の日にお祝いご飯から、当時を思い出さような乾パン給食になった子供たちの震災復興に対する心象を考えて欲しい物です。
食べ残しではなく、配膳前の赤飯です。
施設とかこども食堂に回さなかったものなのか?
津波が押し寄せて多くの人が避難したあの日あの時あの場所にこの赤飯があったらどんなに救われたことだろうと複雑な思いになりました。
食べ物を廃棄したことで、それを見ていた子供たちに大人たちは何を伝えたかったのだろう?
フランスのように、大量の食品廃棄は罰則を設けてもいいと思います。
赤飯はお祝いが一般的ではありますが、私は息子が大学留年が決まった3月某日同級生の卒業式の日に赤飯を炊いて、息子の住まいを訪れ節目の再スタートを誓った記憶があります。震災を振り返り供養と併せて未来への再スタートの赤飯と捉えて欲しかったです。
何故、一本のクレーム電話で廃棄の判断になるのか?
いろいろな意見があるのだから、安直に廃棄を決める姿勢は、教育委員会は弱腰過ぎるをいう印象を受けます。
赤飯を提供する理由があったのだろうから、そのまま提供すればよかったのではないですか?
意思決定の経緯などを客観的に検証する必要があると思います。
亡くなった方々は今回の廃棄を喜ぶのでしょうか。それよりも被災した子どもたちが祝福されるぐらい復興したことを喜ぶと思います。震災の際も被災地から自粛続きのムードを止めてほしいと訴えがありました。日本は歴史が古いので災害や戦災の日はカレンダーにすき間なく埋めるほどあります。クレームを入れた人も教育委員会も様々なことを見直し視野を拡げる必要があると思います。
今回の件で最も問題なのは、匿名による「たった1本の電話」で2100食という膨大な食料が捨てられたという点です。
行政は、意見を寄せる側に氏名・住所・連絡先などの明示を義務付けるべきではないでしょうか。個人情報を把握した上で「一意見」として記録し、同一人物による繰り返しの連絡は「累計一件」として扱う。そうしたルール化が必要です。
責任の所在が不明な匿名の声に振り回されるのではなく、毅然とした対応基準を設けることが、結果として今回のような過剰反応と食品ロスを防ぐことに繋がると思います。
震災があった日に
お祝い事で食べる習慣のある赤飯を食べるのは自粛するべきなのか否か。
個人の価値観による、と言わざるを得ない。
しかし、1食10円なら21000円、
1食50円なら105000円、
税金がかかっているわけだから、
廃棄は税金の無駄使いとなってしまう。
国家財政に懸念のある昨今、
個人の価値観に過ぎないグレーゾーンで
あるならば、税金を無駄にしない、
という方に傾くべき。
1本の電話を殊更に大きな問題としてとらえ、ごく一部の人間の判断で対処してしまう手順に誤りがあると思う。震災も15年が経過した中で普通の生活が営まれているのが現実であり、この電話に対する反論もしくは説得する言葉はいくらでもあったはずと思う。教育委員会の誰かが非難の先頭にさらされるのを
避けたかったのだろうと想像するが、少なくとも卒業する子供たちやその家族を祝ってあげるという考えが先にあれば、廃棄してしまうなどという稚拙な行動にはならなかったと思う。
中学を卒業する生徒は15歳、東日本大震災から今年で15年
卒業生は震災後の非常に大変な時期に産まれ、無事中学卒業することにお祝いするのは他地域の中学卒業生よりも思いが籠もっているのでは?
恐らく震災によって亡くなられた当時の新生児の同級生がたくさん居たと思います
そんな大変な中無事育って義務教育修了は本人や家族にとっても喜ばしいことじゃないでしょうか
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。震災、卒業、給食に関する大人のごたごた。小さなことは気にせず前に進みましょう。これまでの先生方、栄養士の先生、調理師さん、地教委の皆さん、保護者の皆さん、地域の皆さんのおかげで子どもたちは大変立派に育っています。皆さんのこの一年の頑張りを誇りに思います。登下校の子どもたちの表情を見ていつも元気をもらっています。
食品ロスの問題ではないでしょう。
震災の日には、お祝い事をしてはいけないという主張に怯えて、逃げに走った市教委の対応が問題です。
クレームがあると、すぐに逃げるのは、責任逃れの意識が強すぎるためではないでしょうか? 市教委は教育現場を指導する立場でもあるのですから、何が正しく、何が悪いのか客観的な判断で行動すべきだと思います。
ごく一部の悪質なヘイトスピーチに惑わされたのかと思う、赤飯ではなくとも学校教育下で卒業式に紅白まんじゅうを提供するのが罪になるだろうか。苦情を承知していても提供すべきだったと私は思う。まして家畜の餌になるのではなく廃棄などそちらの方が問題だ。ならば学童か子供食堂にでも提供してほしかった。東北では3.11ではしばらく食べるものもなかった地域がたくさん出た。食べさせてあげるべきだった。
いわき市は15年前の震災のために、15歳の大切な卒業を祝うこともだめなのかと・・そう思わざるを得ない。忘れてはいけない出来事であっても、今生きている人間の務めは、それを乗り越えて一歩でも前進すること。市教委はこのことを忘れて居たのではないか。被災した市町村の教育委員会に友人が勤務していたが、一ヶ月以上、自宅に帰る事も出来ずに対応していたそうです。もちろん、自宅も損壊していたし、家族も避難所生活・・。そのことを聞いているだけに、教育委員会の主事達を単純に責める気にはなれないが、教育は夢や理想、希望を語るもの。15年を節目に前を向ける教育行政を目指して欲しいと思う。
震災から15年。その年に生まれた子供が復興と共に成長し、卒業を迎える生徒へ給食で提供された祝いの赤飯。震災の日に被災地で赤飯は?との声もわからないでもないが、それにより、中学校の卒業を迎えてのお祝いとして調理された2100食分の赤飯を廃棄する事の方が不謹慎ではないか。被災地とは言え、中学校の中の給食でお祝いで提供された赤飯です。卒業を迎える生徒達が主役なのです。震災の年に生まれ復興と共に成長し15年、その子供達が卒業を迎えられるのは、復興の証でもないでしょうか。
「卒業、大変におめでとうございます」
この思いが大切なのだと思います。
その中学校を卒業していく生徒達が主役なのです。
震災の日とはいえ、 赤飯は卒業のお祝い と切り離して配慮する事が出来なっかったのでしょうか。
廃棄と言う振る舞いで大切な事を蔑ろにしている様に思えます。
震災の悲しみがこういったことでしか表現できず、苦しみが癒やされない方であるのであろうことはなんとなく分かります。では廃棄されてこの人が喜んだか、といえば多分そうではない。なぜ、一存で廃棄してしまったのでしょうか?傷んでいたわけでも、毒が入っていたわけでもなく。お米不足や高騰もあり、食べられることにも感謝だし、生産してくれた農家さんや、作ってくれた人への感謝は?皆集まってあーでもないこーでもない、と決められない集団もだめだか、一存で決まってしまうのもどうかと思います。教育の観点では本当に良くない対応だと思いました。
報道によってまちまちですね。真相が知りたいものです。電話の主は「家族を東日本大震災で亡くした。給食に赤飯が出るということで、経緯について教えてほしい」学校側とのやり取りの末「わかりました。来年以降は気をつけてほしい」学校側は当初具体的に「こんな日に不謹慎だ」とも「赤飯は全て廃棄せよ」とも言われていないし献立メニューも公式HPで誰でも閲覧可能なので保護者と決まったわけでもないと言っていました。内容がどんどん変わってきますが後発がより事実に近いと思っていいのでしょうか?
赤飯は駄目でも、卒業式でお祝いするのはいいのか?
一人のクレーマーの意見なんて聞く必要はないだろう。
赤飯を作った人たちはこのことをどう思っているのか。悲しんでいるんじゃないか。
ただでさえ、物価高といっているのに、廃棄するのも馬鹿らしい。本人たちの好きなようにすればよかったのに。
今後もクレーマーが文句を言うだろうから、3/11で卒業式はしないというきまりを決めるしかないんじゃないか。
当たり前の話だけど、卒業式の時の給食は当然事前に告知されているのですから、もし問題があるのなら、早めにクレームを入れるべきで、直前に「震災があったのに赤飯はおかしい」というクレームがあったとしても、市教委はそのクレームを真に受けて、2100食の廃棄をさせるような指示をすべきでないし、むしろ震災の日であろうが慶事の赤飯くらいは、と思いますが。
そもそも能登半島地震が起きたのは正月当日なんですけど、そのクレーマーは、元旦でも贅沢な食事をするなと言うのでしょうかね?
確かに震災で命を亡くした人達や大変な目にあった人たちが多かったのは事実ですが、その当日に生まれた命だってあったはず。
2011.3.11は確かに悲しい出来事の方がイメージしやすいけど、祝い事はいけないって異常だと思います。毎年3.11に生まれる命も、新しい門出もあるはず。
そう言う日だって事だけ頭の隅に置いておけば、祝い事も良いと思います。
一年は365日しかないんです。
長年生きている人類は大小あるにせよ、良い日も悪い日もあるんです。
311でいえば、この日から何ヵ月も、現地で暮らしていたかたは、苦痛や苦労を重ね、ここまで生きてきた方々です。
こんなこといったら年中お祝いで食べる食べ物は食えないということになってしまいますよ。
配慮しすぎは、今を生き方に間違ったシグナルとなり、ひいては、自ら暮らしすらい世の中をつくることになる。
この電話でいったやつは、食べ物を無駄にしただけでなく、貴重な給食に費やされる税金や給食費を捨てたのと一緒。弁償しないとですよ。
また、一人の意見で、判断を間違えてはいけない。
今の段階だからみんな廃棄を非難するが、いざ判断に直面するとなかなか難しいものだ。
廃棄は肯定しないが、逆の判断をしても同じように非難された可能性はある。
「中学3年生の〇〇さんはあの震災で両親を亡くしている。今日はまだ癒えない傷を抱えながら、あの日を思い出す特別な日だ。隣の席の子は幸いにも被害が少なかったためか、特に変わった様子は見られない。授業でも配慮からか特に震災に言及されることはなかった。普段どおりに過ごせていた、あの時までは。
堪えきれなかった。お赤飯が配膳された時、はじめは理解できなかった。お赤飯ってお祝いなんじゃ無いの?
お母さんがかつて、わたしの入学のお祝いに炊いてくれたあのお赤飯。
今日はお祝いなんだろうか。
わたしだけだろうか。隣の子は気にせず食べていた。あの日のことは生涯忘れない」
みたいなことだってある。
正解はない。それだけ判断とは困難なものだ。
たしかに2100食分の赤飯、もったいない気がしますね。しかし、クレームがあったのに赤飯をそのまま給食に出していたら、「けしからん。クレームがあったのに、被災者の気持ちに寄り添っていない」という報道がなされていたと思います。結局、クレームがあった時点で、クレームに従おうが、拒否しようがその行動を否定する報道がされます。結果だけから足上げをとるようなこのような報道の仕方はどうかと思います。こういうことをするなら、報道は「どこからも文句の来ない正しかった行動とはどんなことか」を一緒に示すべきでしょう。それでこそ報道の正しい姿勢だと感じます。また、そういうことが有るからこそ公的ないろいろな機関は少しでもクレームがでないようにする行動しかできなくなってきています。
震災で亡くなった人のために喪に服さないといけないとしたら、喪が明けるのはいつなのか?
材料については一切書かれていないが、地産地消の流れからすると被災地からの農産物かもしれない
子供達には喪に服すことを優先する(教育する)のではなく、復興から立ち直る力を育むのが被災地の教育ではないだろうか
震災発生時に赤ちゃんで、15年成長してきた子の卒業
門出を快く祝ってあげらればよいのに と思ってしまいます
大震災は終わってなくはまだ続いているから赤飯を止めたという主張でしょうが、続いているからこそ、給食を食べられなかった中学生たちも震災による犠牲者=「被災者」となってしまいました
これ以上、犠牲者を増やさないでほしい
もったいないだの法律的にどうだのという前に、子供にとって一生に二度ない卒業のお祝いを、大人の身勝手な考えで台無しにしてしまったことの責任はどうなるのか。しかも、他に代わるものがなかったとはいえ、防災用品の缶パンとは。
市教委の判断も問題だが、提供直前にこんなクレームを入れた電話主にも、今の心情を聞いてみたい。
食品ロスという観点もあるのは理解する。ただ、あまりにも極少数意見におもねる姿勢が強いのではないか、クレームに対して毅然とした対応ができずに事なかれ主義に舵を切ってしまっている。少なくとも、法律に抵触するような話ではないのであるから、意見は受け取るが今回はこのままいくという判断をすべきであった。
捉え方の違いでしょう。
震災被害者はネガティブな事だと捉えるだろうし
卒業生やその家族はポジティブな考えだろうし。
まずは3月11日は日本にとって忘れてはならない日だという事
ただ、卒業式は当事者には人生でその日にしかない事
日本では古くから赤い色には邪気を祓う力があると考えられて赤飯が生まれたようなので、そういう意味ではいつ食べても良いという事でしょう。
それにひと言モノを申したかったのだと思うけど、それはお門違いという事に気付かなかったのは、どっちもどっちかなと思います。
廃棄する方が震災の時の避難所で食べ物に苦労したことを考えたら不謹慎だろう…
たった1本の電話でそんなことしてるとか日本の行政はずいぶん情けない存在になったもんだ…
誹謗中傷対策とクレーム対応の優先度がめちゃくちゃだろう…
破棄しないでも冷凍なりして翌日に回すとか工夫してクレーム対応しておけば良かった気がする…
今回はクレームがついて、それに対応するかたちで大量廃棄になった。
でもそれでなくても給食は廃棄が多い。食べ残したパンは包装されたままごみ箱行き。
廃棄せずに、他で使ってもらうなどできないのかな。法律のシバリがあるのはわかるけど、毎月相当量を捨てているのは忍びない。保存が利くものなら子供食堂に寄付、赤飯なら格安で販売して利益は子供に還元するなど。
杓子定規な対応は子どもたちが違和感を持つ。
誰かにとって悲劇の日は他の誰かにとっての喜びの日。卒業祝いというきちんとした明目がある以上、そしりを受けるいわれはない。苦情を寄せた人の論理だと、仮に正月やクリスマス、祝日に災害や事故が起きた場合はその後はみな自粛することを強いられて一切祝えなくなる。
各自治体の担当者も苦情の対応に苦慮しているからといって、一面的な見方ですべてを推し量ろうとする狭量な意見に沿った行動を安易にとらないでほしい。
どのニュースを見ても書かれていないのですが、赤飯をやめて緊急時の保存食に変更、赤飯は破棄処分とした理由を生徒にちゃんと説明したのかな? 説明を聞いて生徒たちがどう感じどう考えるか、それも教育だと思う。 自分達の感じた事、考えをレポートさせても良かったと思うよ。
その震災を乗り越えて、子ども達は大きくなり、無事に卒業できると思うと、これからの成長も願って、おめでとうの赤飯は当日でもありだったと思います。(その日を忘れないし)
多くの大人が子供のお祝いを素直に喜んでいると思います。そう願います。
震災のあった日とはいえ
赤飯が乾パンで、赤飯廃棄とは
一番かわいそうなのは当事者の子供たち
赤飯代金だって無駄になったし
食品ロスだし
電話したクレーマーは今頃自己弁護に必死だろうね
身近では誰が言ったかバレてるだろうし
こう言うことになるので
くだらいないクレームは厳に慎むように
と世間に知れ渡ればよい
1件のクレーマーに対して
赤飯廃棄を速攻で決めると言う
教育委員会も少しアタマ冷やした方が良い
大局観が必要
震災があった日だからという点で廃棄に至ったのは残念
そうであるならば能登地震は1月1日にあったわけだけど、お正月のお祝いをしてはいけないのだろうか?
震災で食事にも苦労したことを生かすのであれば、食品ロスの方を抑えるようにするべきだったのではないか?
東日本大震災で、何故、食べ物の貴重さをいわき市は学ばなかったのか?
そこが疑問でしかならない。
幾ら震災の日と重なったとしても、卒業は祝いの門出。
御赤飯で巣立ちを祝い、快く若者の背中を笑顔で送り出し、未来のいわき市の担い手を育てるのが、在るべき姿ではないのかな。
震災の日に赤飯が出されたことを、辛く思う方がおられるのはわかります。
3月10日に赤飯でもよかったのでは?
節分の献立が2/2や2/4に出されることもありますよ。
苦情があれば、お気持ちを推察できてなくてすみませんでした、これからは気をつけます、と誰かが言えばよかったのでは?
謝るだけじゃだめだ、給食は廃棄しろって言われたんでしょうか?
なんか、赤飯に苦情を入れることがまちがいだとか、15年も経ったのだからいつまでも言うなとか、苦情を入れた人を攻撃するコメントが多いのに驚きます。
私は東北の人間ではありませんが、3/11は慰霊の日だと思っています。
このお粗末な決断をした当事者は、責任を取るべきです。赤飯の費用と廃棄の費用、さらに 代わりに提供された備蓄食料の再購入費用を払わせるべきです。過去には 忙しい中、ついうっかりとプールの給水を止め忘れ、費用弁済させられた教員がいました。あの教員たちより、情状酌量されるべき理由など、無いと思いますし、それなりの責任ある方々です。
このお赤飯問題の発端となった電話かけた人も、元々問題提起的などういう事なのか?というようなスタンスの電話だったようなので、こんなに数日間も全国的にニュースになり、クレーマー扱いされるのは本意ではないかと思います。
(NHKによく些細な事でもクレームの電話をかける人達に近い感じのような気も…)
ただ、現状こういう電話でアイドルのライブが中止になったり、美術館の催しが無くなったりしています。炎上や故意に中止に追い込みたい悪意のあるクレーマーでは無いのなら、自分がかけた電話でイベントが中止になり待ちわびた人達の楽しみを奪い、主催者や出演者などの利益やその付近の経済を止めてしまう恐れがある行為だと理解して欲しいですね。
他にも1本の電話があったようなので、2本ですかね。
保護者からという事らしいですが、
震災と同じ日に卒業生に祝い膳で赤飯を提供する事は、関係者は事前に知っているでしょうし、保護者が当日に意見するというのも考えにくいですかね。
しかも、震災被害者に配慮という理由であるにもかかわらず
より震災と関連深い 保存用かんぱん を提供するという采配。
意思決定プロセスが、色々疑わしい。
思ったのは…日本人ってすぐ謝ること…
日本人は優しいから日本国内でこういったことが起きたら「仕方ない」って受け止めたりする物分かり良すぎる人がいて廃棄処分だけど…
配る予定のお赤飯にカード添えて「卒業おめでとうございます…けれど本日は東日本大震災の日でもあります…亡くなられた人の分までしっかり食べて生きていきましょう…」とかメッセージ有るだけでも違ってきたのでは…と今更ですが思った次第です…

